外縁の響

音楽のガイエン、そしてゲエンとしての響

音楽にジャンルはない?音楽と楽器

音楽にジャンルは無い?

たまに「音楽は何でも好き」と言う人がいます。そんな言葉を聞くと「好きなタブラ(インド打楽器)奏者は?」とか「常磐津と新内どっちが好き?」とか聞きたくなります。もちろん、こんな質問は大抵の場合単なる意地悪です。聞きたくはなりますが実際聞いた事はありません。

もちろん分かっています。彼らが言うのはアンビエントやチルアウト、レゲエやダブの事を言っている事は。でも私に言わせればそれら全て欧米音楽ですけどね。

私自身を含め、人は自分のフィールド内でしか考えられないのは当たり前のことです。普段耳にする欧米系の音楽から一歩出る、そして膨大な空間と時間を持った音楽世界を味わう、まして全てを同列に感じるなんて神にしかできないのではないでしょうか。三次元の人間が四次元で生きるような物です。

しかし音楽には様々な民族、地域、時代のものがあり、それを好んで聞く人たちがいます。つまり人間の感性は単に個人が普段感じている物よりずっと幅があり、顕在化していない物も含めより大きな、豊かな物であると思います。だからこそ音楽は、人間は素晴らしいと。

日本伝統音楽

日本では明治以前と明治以後では全く音楽の方向が変わったと思います。土台としてはそれまでの音楽に中国(国では無く地域)からの大きな影響があり、明治以後は音楽取調係を中心にヨーロッパ音楽が重用されることになり、太平洋戦争後は欧米音楽がどっと入って来て、今では邦楽と言えば欧米ポップスのことで箏や三味線の音楽は純邦楽と言わなければ伝わらない時代になりました。

今の時代の日本伝統楽器奏者がどのような考えでそれをやっているのかはわかりませんが、日本伝統楽器で西洋クラシックやジャズやポップスを演奏する事も多いようです。これは聴衆に受け入れられるだろうと言う前提で選曲されたのでしょう。これは邦楽器*1の演奏ではあっても邦楽の演奏ではありません。つまり音楽は欧米系の音楽です。

音楽と楽器

例えばバイオリンは南インドでも古典音楽で使われます(チューニングなどのマイナーチェンジはありますが)。しかし音楽は完全にインド音楽です。奏法も異なります。ラビシャンカールがサックスの指導をしている動画も見たことがあります。重要なのは音楽です。その美です。楽器じゃありません。

音楽美があって楽器があるのです。その美に従って楽器が生み出され、奏法が確立されます。楽器もさらにそれらに従って改善されていくのだと思います。箏でバッハを弾いてバッハの音楽を再現できるでしょうか。私ならハープシコードなどで聞きたいですね。日本人が歌えば日本音楽というのも変な話です。

けれどもこれは邦楽器奏者だけの問題ではありません。日本の伝統音楽を、その美を引き継ぐ作曲家、作品が少ない事も原因でしょう。日本伝統音楽美を継承する事は聴衆からの大きな変化を必要とします。それは箏でバッハを弾いたりバンドで三味線弾くくらいでは追いつけないと感じています。

f:id:esrajs:20191120080122j:plain

結論

音楽にジャンルはあって欲しい。今日はフランス料理、明日はインド料理、その翌日は中華料理、みたいに。日本人は和食だけ食え、では無いけど、和食も忘れないでいたい。だからと言って、いや、だからこそ、ガンビア料理は多分うまくない、ではなくて一度は試したい。ヨーロッパ人の言う「世界三大料理」みたいな括り方はしたく無い。

 

*1:私が勉強した時代、和楽器という言葉は無かったと思います。私の持っている古い音楽之友社の「標準音楽辞典」にもありません。ウェブ検索では圧倒的に引っ掛かるのですが。そして、「邦楽」は近世邦楽のことではなく広義の日本伝統音楽の意味で使いました。